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創作文芸ブログ

海とカレーと不敵な笑み  

鎌倉で不思議なこと、を描いた二つめです。
これは七里ヶ浜ですね。もしこの話を読んで七里ヶ浜という場所を選んだのかわかったら、それはもうミヤジマとマブダチということですね( ˘ω˘ )うんうん
ショートショートで、スピード勝負。内容よりもテンポを重視しました。お読みいただけたら嬉しいです:)

「人魚の肉を食べると不老不死になる」
 不穏なフレーズが頭上から降ってきた。私はその声の先を見上げて口をぽかんと開けてみせた。
「あ?」
「西澤さん知らないの? 人魚の肉のはなし」
 ニヤニヤとだらしない顔でそう言ってのけるのは、この胡散臭いカレー屋の店主の下田正。カラカラと軽い音を立てながら今にも壊れそうな風貌をしている天井にへばりついた換気扇がある、このカレー屋は彼が一人で切り盛りしている。まさに胡散臭ささを具現化したような彼とこの店。しかし、そんな彼の手から生み出されるカレーの味だけは本物だった。
 家の近所にあり、独り身であることをいい事に、私はこの店を行きつけの一つとしていた。
「知らないよ。大体、人魚てあれだろ? おとぎ話の」
「そそ、その人魚よ。で、その肉をね」
「食べると不老不死になる。それは聞こえたよ。それがどうしたっていうの」
 スプーン山盛り一杯をくちのなかに放り込む。今日はナスとトマトの夏野菜カレーを注文していた。と、言えども、この店にメニュー表など存在しない。席に座ればキンキンに冷えた水と大きなカレースプーンと本日のカレーが目の前に運ばれてくる。一人一人前で、ライスの大盛り等のサービスは一切ない。セルフで何かを取ってきて自分の前に置く、ということもない。それほど店内が広くないのだ。下田が横移動するだけで全ての事が足りてしまう店内は、カウンター席だけのこじんまりとした胡散臭い店だった。
「……食べたくない?」
「は?」
 にんまり。口角がこれでもかというぐらい、下田の口端は外に押し上げられていた。そのうち口が裂けて、鋭利な歯がむき出しになるのではないだろうか。
 私は今ほど放り込んだカレーをろくに味わず、丸呑みをし口を開いた。
「人魚の肉入りカレー」
 クツクツという音が下田の方から聞こえてくる。何の音なのか瞬時に判断がつかない。不気味な音は不安を増幅させる。見慣れた下田の顔だというのに、その音が鳴り響くだけで得体の知れない物体に見えてくる。
「な、なんだよそんな。冗談だろ?」
「ここさ、たまーに打ち上げられるんだって、人魚。でもそんな気色悪いの、見たくないじゃん? でもってテレビとかに取り上げられちゃったら、大騒ぎじゃん? だから、昔から代々、知る人ぞ知るな訳よ。オレも最近それ知ってさ」
 下田の口周りに生えた剛毛な髭が下田がしゃべる度にもしゃもしゃと動く。
 下田の話を食い入るように聞いていると、その口の動きがナメクジのように見えてきた。うにょうにょと動いてみせてその奇怪な話を続ける。
「人魚て、すげーキレーなイメージない? オレ、すげーキレーなんだと思ってたの。それこそホタテの貝殻おっぱいにつけてさ。長い髪バサァて感じの。だけどホンモノって違うんだね。なんか、あれだわ、半魚人みたいな。腰から下が魚っていうか、イルカ? みたいな。なんだろ、ウロコないのよ」
 下田はベラベラとしゃべり続ける。興奮しているのか、小鼻がヒクヒクと動いているのまでカウンター越しに確認できた。
 そんなにしゃべり散らかして、代々知る人ぞ知る、なんじゃないのかこの話は。誰だか知らんが、こんな奴にそんな珍妙な話を持ちかけ、挙句実際の現場まで見せた上にその人魚の肉というものを持ち帰らせた大馬鹿者がこの世に居るという事実に、私は頭が痛くなり始めていた。
「……で、食べたい?」
 下田はカウンターを乗り越え、ずいと顔を寄せてくる。私はその分後方にのけ反る。
「た、べ……たい」
 ゴクリ。
 私が唾を嚥下した音が店の中に響いた気がする。未だ天井に張り付いた換気扇はカラカラと軽い音を立てて回っていた。
 男は好奇心で出来ているものだ。誰かがそう言っていた気がする。ああ、私の言葉だったかもしれない。
 好奇心とちょっとの恐怖心が私の中で渦巻きながらも、下田の言葉にまんまと誘導されていく。
 食べてみたい気がした。未知のものとの遭遇によって、何かが味わえる気がした。それは、普通の現実を普通に生きていれば味わうことの出来ない不思議な体験。
 自分の中に湧いてて出てくる優越感という欲。
「そうこなくっちゃね」
 下田は乗り出していた体を引っ込ませ、背中をこちらに向ける。
 厨房には三つ口のコンロがあり、一つは本日のカレーが入っているであろうアルミの鍋が鎮座している。そのアルミの鍋の隣に、それはあった。ステンレス素材で妙に光沢をもっている小ぶりな鍋は、今まで見たことがなかった。新しく買ったのか、こんな日の為に取っておいていたのか定かではないが、確かに見たことのない鍋だった。それに例のカレーが入っているんだろう。
 新入りの鍋の中をかき回していた下田の手が止まる。白の陶器にライスとカレーが盛られた。
 この店で出されるカレー皿は通常木の器だった。それは下田の趣味であり、下田の奥さんのこだわりでもあった。カレーと同色の木目の食器など、と素人は思ってしまうが、ここの食器は白樺にこだわり抜いている。そのなめらかさは白磁とも思えるほどの艶やかさを持っている。私はここの食器で食べるカレーが、とても好きだった。
 そのこだわりを一旦横に置いている。この、人魚のカレーに関しては、特別を強いる必要があるということ。私は、知らずうちに生唾をひとつ飲み込んでいた。
「おまちどーさん」
 にゅるりと上に口角が上がった下田がそう言って皿を私の前に静かにおいた。
 ゴロリと黒い塊がライスの上にひとつ、乗っかっている。そして煮込まれた野菜もいくつかルーの中から顔を出している。にんじん、たまねぎ、じゃがいも。いかにも肉じゃがから派生して生まれたカレーライスらしい、オーソドックスな具材たちだった。
 カレーから白い湯気が立ち上っていた。熱い、とてもじゃないが熱い。しかし下田は早く食え、という顔をしている。早く食って感想を聞かせろ、とでも言わんとする顔だった。
 私は今一度唾を飲み込んだ。しかし乾いた口の中に唾など存在しない。さきほど飲み込んだひとつで唾が品切れた。
 私は水をコップ一杯、飲み干した。来店してすぐに出された水は、あんなにも冷えていたのに、もう生温かい。結露がコップの外側の下部にたまり、滴っている。
「……いざ」
 腹は決めた。
 目の前にあるこれが、人魚の肉だとしても。人魚の肉を食べると不老不死になるという噂が本物だったとしても。
「いただきます」
 湯気立つカレーをひとすくい。ゴロリとした硬そうな塊もスプーンの上に乗っている。
 意を決して、持ち上げたスプーンをパクリとくわえた。口の中にピリリと走る辛味。鼻から香辛料の匂いが逃げることはなく、ただただ辛味が舌の上に残る。そのあとを追うように、ある匂いが追いかけてきた。これは、魚だ。
「……どう? おいしい?」
「くせぇ……生臭い、あと肉が赤い? なんかクジラみたいだな」
 クッチャクチャと下品な音を立てては、問われたことに関する感想を述べてみる。肉の繊維は噛めば噛むほど細く、そして小さくなっていく。柔らかいが、繊維は口の中に残る。細くなった肉だったものはいつの間にか私の歯と歯の隙間にするすると入り始めていた。
 鼻から水族館で嗅いだことのあるニオイが抜けた。たしか、ペンギンの展示。海のものだしな、魚臭いよな、と当時付き合っていた彼女に話しかけたが、喧嘩の最中でその問いかけに応答することはなかった。
 人魚も海で暮らすモノだから、こんなものかと。妙な納得を、その時の私はしていた。
「はーーー……やっぱりクサイの?」
「まあ、そこそこ。食えないほどじゃいけど、苦手な人も居るだろうなって」
「はあん」
 下田は私が人魚の肉の塊をスプーンでつつくのを凝視していた。
「……食べる?」
 そもそも。カレー屋の主人である下田があるツテによって手に入れた人魚の肉。しかもほれには「食べれば不老不死の肉体が手に入る」という伝説がついているのに、目の前の下田は常連というだけの私にその肉を差し出してきた。しかも、凝視を続ける下田の顔を見ると、どうもこの肉を食していないように思える。毒味のつもりなのか、自分で食すことなく他人に与えるなんて。
 身を乗り出す下田を見ていると、そんな疑問が湯気のように湧いて私の中に充満していった。
「……や? いいよ。北海道のお土産だし?」
 誰の? ずいと後ろに下がった下田を目で追いかけ、呆然とした。ホッカイドウのおみやげ、とは。
「は?」
「アッやッべ」
 口滑らしちゃった、と言いたげな下田は年甲斐もなく舌を出して自分の頭を小突く。茶目っ気たっぷりなその格好は、年頃の女子がやればそれは大層かわいく、どんな罪でも洗い流してしまいそうなほどであるが、目の前にいるのはいい年をした髭のおっさんだ。
 湧いてくるのは、ただただ怒りだった。
「去年の春に行った北海道のお土産、西澤さんに渡し忘れてたんだぁ……て」
「……で」
「ごめーんね!」
 髭面の顔をくしゃりと歪ませ謝罪の言葉を口にした下田。そしてカウンターの下から開封済みの缶詰を目の前の私に寄越してみせた。
「アザラシカレー……」
「流氷と一緒に煮込みました」
「じゃ、これ」
「人魚の肉」
 しれっと嘘を突き通そうとする下田の頭を思わず一発はたき落とす。
「ッて! ごめんごめんアザラシですゥ」
 不老不死の伝説も、この相模湾に人魚が打ち上がる話も、その肉を使ったカレーというのも。全部、下田のアホ店主が作り上げた嘘で、現実には一ミリも存在しない出来事だった。端っから全部を信じてはいなかったけれども、少しでも期待をしたというのさ事実で。なんともしてやったり、と笑われても仕方ないくらいには、下田の言葉に乗せられたものだった。
 ふつふつと苛立ちに似た感情が腹の下の方で湧いて出る。けれども、私の目の前には人魚の肉入りカレーと偽られたアザラシカレーの他に、とっておきの一皿がある。
「とりあえず」
 既に冷め始めていた夏野菜のカレーへ私は手を伸ばす。ひとすくい、口に放り込んでみる。するとトマトの酸味は冷えることにより、より一層クリアな味をカレーに付け加えていた。
「今日もカレーは美味いよ」
 腹が減っては、ケンカも満足にできぬ。
 ここは一時中断、まずは腹ごしらえを済ませてから、下田にはあと何発かを食らわせなければならない。

category: カマクラ怪奇譚

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