オンエア
創作文芸ブログ
集い岩 
2017/07/09 Sun. 21:54 [edit]
お久しぶりです。
書き上げたいと思っていた作品が、徐々に出来上がり始めました。はじめは、「文学賞にでも」と思っておりましたが、稚拙でいてオムニバス形式ではちょっとなあと思い始め、ここに掲載しようと思い至りました。読んでいただけたら嬉しいです。
このお話の他に残り九つ。湘南から鎌倉を走る江ノ島電鉄の沿線の駅名にまつわるお話を書いていきます。出来上がり次第こちらにアップしていけたらと思います。また、いつか何かしらの形できたらとても楽しいだろうなあとも:)
よろしくお願いします。
書き上げたいと思っていた作品が、徐々に出来上がり始めました。はじめは、「文学賞にでも」と思っておりましたが、稚拙でいてオムニバス形式ではちょっとなあと思い始め、ここに掲載しようと思い至りました。読んでいただけたら嬉しいです。
このお話の他に残り九つ。湘南から鎌倉を走る江ノ島電鉄の沿線の駅名にまつわるお話を書いていきます。出来上がり次第こちらにアップしていけたらと思います。また、いつか何かしらの形できたらとても楽しいだろうなあとも:)
よろしくお願いします。
私というこどもは、たいへん知りたがりのこどもだったもので、毎日家事をする母に事あるごと「あれはどういうものなのか」「あれは何に使うのか」「あれはなぜ家にないのか」と尋ねるものだから、近所では温厚で有名な母もさすがに癇癪を起こすほどのしつこさであった。なぜに、そこまで疑問坊主だったかはすっかり忘れてしまったが、問うては覚え、学び、当時はガキ大将よりもはるかに物知りであったことはたしかである。使いもしないのに黒電話で電話をかけるとき、出た相手に「もしもし」と問いかけるのである、などと、得意げに近所のこどもどもの集まりで、己が得た知識の豊富さを披露したものであった。
ただ、好奇心旺盛な知りたがり坊主は、興味の先に危険が潜んでいるとは、とうてい考えない。それが功を奏する時あれば、逆に大目玉を食らうこともあろう。さいわい、私がこどもの時、知りたがりで食らった大目玉は一度だけであった。
朝晩がまだ冷え込む春先のことだ。観光地鎌倉の、小町通りを少し行った雪ノ下地区に住んでいたこどもの頃の私は、観光客が参拝しに来る音で目を覚ますことがしばしばあった。八幡様へのお詣りは早ければ早いほどいい、ということはないが、暖かくなりはじめているということもあってか、早朝の参拝を行ってから他の寺院や名所を巡るという観光客が多くはないが、たしかに居たのである。そうして鎌倉の町は、静寂な夜から賑やかな日の出を迎える。
あの日もそうだった。小町通りを賑やかな声が通り過ぎる。耳に入ってくる音で目を覚まし、ふとんから顔を出す。私の部屋の隣は台所になっており、朝日が差す頃には母がそこに立って朝餉の支度をしている。普段ならふとんから顔を出すだけで、母の気配を感じられるのに、あの日は空気が少しも動いていなかった。起き抜けの頭で不思議に思いながらも、そんなものだろうと片づけ、たまたま、母より先に目が覚めただけ。そう思って、ふとんからはいでた。
朝日は上がりたてで、寝ぼけているのか、まばらに辺りを照らしていた。裸足に下駄を引っかけただけの格好で外を歩き始めると、堅い地面と木がぶつかり合う音が響いた。まだ人は少ない。しかし寺院の朝は早い。人の気配を町からじゅうぶんに感じながら、小町通りを抜けて、八幡宮と並んだ横の道に出る。春が始まったばかりで、葉は少ないが青々とした新緑が朝日を浴びている。見上げるほど大きい木々を見ながら裏手入り口から八幡宮の敷地内へ入ると、地面とぶつかり合っていた下駄が、今度はじゃりと遊び始めた。小さな柵によって歩く場所とそれ以外がわけられた、じゃりが敷き詰められただけの質素な路は、道と呼ぶにはあまりにも手入れがされていなかった。けれども、当時ではそれが当たり前で、鎌倉の寺院に限らず、町のだいたいがが道よりもじゃりの敷き詰められた路というのが多く存在した。今よりも敷地を隔てる意識が低くかったので、八幡宮がこどもの遊び場になっていたのだと思う。
特に八幡宮は格別な遊び場だった。単に神仏に対して特別な風習や思いがあったわけではなく、広い敷地の中を自由に全力で駆け回ることが出来た唯一の場所だったからである。現在では高級住宅街であったり、別荘地として選ばれることの多くなった鎌倉であるが、あの当時はまだ閑静な地域であり、観光地の面しか持ち得なかった。なので、空き地はいくらでもあった。しかし、冒険のように木々に囲われ、自然だけれども人の手の加えられた形跡が感じられる、鎌倉の寺院とはこどもにとって、そういった場所であった。
あの日は、近所に住む同い年の高雄と八幡宮で遊ぶ約束をしていた。大きな銀杏の木が植わっており、その幹にしがみついて木登りをするだけで、楽しかったこども時代の私たちは、飽きるまで木という木を登り、そこから鎌倉の町を眺めて遊んでいた。この日も高雄とともに木登りで一日をすごす予定だった。待ち合わせは参道の横にある大きな池の前で、小島が浮かぶほど大きな池はこどもからすると湖に匹敵するほどの圧巻の存在感を放っていた。そしてそこに住む鯉もまた大きく、水面を揺らすように木の棒でつついてやると、体格にあった大きな口で木の棒に食いつくのである。観光客が次々と餌付けをし、いつのまにか大きくなっていってしまったのであろう、威勢のいい鯉がその池にいた。
しかし、いつものように、高雄を待って池の鯉に餌をあたえるまねをして遊んでいても、いっこうに高雄の姿は見えない。
高雄は不思議なこどもだった。木の幹に耳を押しつけ、目をつむり口を閉ざしたので、何をしているのか、と聞けば、木の声を聞いていると高雄は言った。そんなことをしているかと思えば、あらぬ方の一点を見つめ、真剣な面もちでいるのを不思議に思うて問えば、鳥が泣いているという。鳥は鳴くものではないか、とわたしが言えば、高雄は、鳴くのは人だと言った。時たまこうした不思議なやりとりをすることがあること以外、変わった様子はない高雄だが、こどもながらに、高雄というこどもを不思議に思うことが多かった。
その高雄が、約束の時間をすぎてもやってこない。朝日だった太陽も、いつの間にか若宮大路の鳥居ほどの高さまで登っていた。腹の鳴る音がする。朝餉も食わずに飛び出してきたことを今になって思い出す。
しかたなしにきた道を戻ると、じゃり道の右脇に細くのびる道が見えた。庭のように遊び回った八幡宮で見たことのない道などないと、思っていただけかもしれない。しかし、覚えのない道が見えている。その道は細い杉の木が周りをかこみ、影を色濃くする。暗くて細い道は入り口しか見ることができず、奥がどうなってるかはわからない。杉の木がその道の全貌を隠してしまっていた。下駄が砂利を蹴る。吸い込まれるようにして、突如現れたその道にこどものわたしは歩みを進めたのである。知らないものがあると知るだけで、いても立ってもいられなくなる、知りたがりな坊主がしゃしゃり出てしまったのであった。
八幡宮の空間はわりと明るい。それは、広い敷地の中で、見事な大木が等間隔で植えられているからであろう。広いだけの空間では殺風景すぎて、けれども大木を植えすぎても木々の葉で日の光が遮られてしまう。八幡宮は光を取り入れる為のすべを知っていた。日がまんべんなく差すよう、遠すぎず近すぎない位置に木を植えていた。また、多すぎない大木たちは、まわりの空間を包み込むようにして立っているので、参拝者に安心感を与える効果もある。
しかし、今進んでいる道は、わたしの知っている八幡宮ではなかった。細い杉の木が道に沿うようにして植わっており、その間隔はとても近い。うっそう、という言葉がとてもよく似合うほどに近しく植わっている木々は、まるで光を極限までに取り込むのをいやがっているようだった。幹も枝も細いのに、数をなして生える姿は、群をなしているように思えた。
下駄が砂利をなでる。
あまりにも覚えのない風景すぎて、足がすくんでいた。わたしの知る八幡宮は人の気配と木のぬくもりであふれていた。それが、ひとつ違った道に入っただけで、まるで違う空間へと変わりえることを、当時のわたしは知らなかったのである。風が少し吹くだけで、細い杉の木は揺れ、枝と枝がぶつかりあう。乾いた音があたりに響き、それを聞くだけで恐怖心が増していった。心細く、あふれ出ようとする涙を堪えるのだけで精一杯だった。歩みを進めることなど、とうにやめていた。
薄暗くて細い道の先には石造りの階段があった。小さな丘のような先に伸びる階段の周りにも細い杉の木が生えている。群衆のように生える杉の木により、さらに暗く見える階段の先。視線をやるだけで何だか恐ろしい。
これ以上は危険だ、危ない。と本能が騒ぐ。
けれども、その本能に反し、体はその場を動こうとしなかった。気ばかりが焦る。動かない足に、さらに恐怖が募った。
「おいなりさんや」
「その名前で呼ぶんじゃないよ、鳩公」
「いいじゃないか、おいなりさんなんて。あのふかふかした、まあるくていいにおいのする、あれのことだろう」
突如、石階段の上から声が降ってきた。それはわたしに向けられたものではなく、声同士が会話をする。
「一度食べてみたいもんだね、おいしそうだ」
「まったく、他人事だと思って」
「あったりまえだろう。こんなおもしろいこと」
ころころと声が笑った。
私は石階段の上でやりとりされる声に釘付けだった。
頭のはしっこでは、帰れ帰れ引き返せ、とこだましている。しかしそんな警告など、好奇心に勝り得なかった。いけない癖が出る。
私はずいと、石階段の上へ頭を覗かせた。
「だいたい、鳩公。お前こそなんなんだよ、サブレエなんて」
「お、その話をするかい? ついに鳩という身分が尊い存在だっていうのを、人間が気付いたんだねえ」
「鳩サブレエだよ? サブレエ」
「サブレエじゃないよ、おいなりさんや。鳩サブレー、伸ばしな」
石階段の上には、大きな石がどすんと構えていた。横に長く、平べったい。まるでその石の上に何かが乗るかのように平で、その両端は人の手で作られたように丸みを帯びている。
その石の上に、狐と鳩が対面で座っていた。
狐も鳩も、くつろいでいるのか、座るというよりは、寝そべっているという方がしっくりくる。また、体長の長い狐が鳩の目線に合わせ、そのように伏せているようにも取れた。
「人間は美味しいものを作るのがうまいよ、本当に」
「それは素直に頷いてやろう。悔しいがおいなりさんはうまいんだよ、鳩公」
「やっぱりそうかい。いいねえ、いつか馳走になりたいもんだねえ」
「うちのを盗み食いしたら噛みちぎってやるから、覚悟をしておくんだね」
「おー、怖い怖い。武器が牙しかないと野蛮で仕方ないね」
ころころと声がまた笑う。
狐と鳩は、しゃべっていた。先程から石階段の下へと降り注いでいた声の主は紛れもなく、石の上に座る狐と鳩のものだった。しゃべる度に、体はゆらりと揺れたり、声に合わせてケタケタと笑っている姿も見えた。
おお、これは。これはこれは。
目の前に広がっている信じ難い風景に思わず喉が鳴る。摩訶不思議で珍妙な出来事が、目前で巻き起こっているではないか。
なんだこれは、どうなっているのだろう。飲み込んでいたはずの息はいつの間にか、浅く小さく小刻みに私の肺を出たり入ったりしていた。
狐はしゃべるものなのか。鳩はころころと笑うものなのか。何よりも、目の前のあれらは私の知る動物ではない。
そうわかった瞬間、私の中で警報を出していた恐怖心が、好奇心を上回った。
この世のものではない、それはこの世のものが踏み入れてはいけない領域である。幼かった私でもそのくらいの判別は、知識として知らなんでも肌では感じ取れた。
戻れなくなる感覚が、ふと湧いて出る。どこへ、なんて愚問だ。元の場所へ、自分の家へ。ふっと湧いて出た直感は、幼い少年の恐怖心を存分に煽った。
帰れないかもしれない。
そう思った瞬間、悲鳴をあげそうになった。しかし、小さな私は口に手を当て、声をを押し込むことで辛うじて飲み込むことが出来た。
その時、勢い余って態勢が後ろに倒れこみそうになった。踏みとどまり、倒れはしなかったが、踵が地面を擦ってしまった。砂利が数個、石階段の下に転がっていく。
「誰だ!」
一瞬にして空気が張り詰めた。腕あたりの肌に刺すような感覚が走る。
私は走り出していた。もう居ても立っても居られないなかったのだろう。自分の浅い呼吸だけが耳に響く。走れ走れ走れ、止まることなく走れ。誰の声かもわからない声がそう言う。ここに残るべきではない、早く元居た場所へ戻るのだ。
ガリガリと下駄が砂利を蹴っている。走る度に砂利を辺りに撒き散らかし、小さな砂埃を巻き上げていた。
細く等間隔に並んだ杉の並木を駆け抜ける。やはり見覚えのない風景だった。私は目の端に大きな涙を溜めながら走っていた。顔はぐしゃぐしゃに寄せられ、口はだらしなく開いている。恐怖そのものを顔で表していたのだろう。
涙が頬を流れていった。風を切って走ると濡れた頰が冷たい。塞きとめていた感情が、溢れ出した。
その瞬間、視界が開けた。見知った、よく見る八幡宮の大銀杏が目の前に立っている。朱色の舞台も見える。
帰ってきた。と思った瞬間、肺の中にたくさんの酸素が供給された。あまりにも急激に、そしてたくさんの空気が流れ込み、私は噎せ返った。
唾を吐き散らかし、鼻水さえも垂らす始末。苦しくて、怖くて、涙が溢れ出た。
「どうしたんだい」
腹を抱え込んで蹲って居ると、頭上から声が降り注いできた。私はぜえぜえと器官から細々と出ては入る息を吐きながら、その声の方を見る。膝に手を当て、屈みこんでいる高雄がそこに居た。
「たかお」
「なんだか焦っていたね」
「どこにいたんだよ、高雄」
「いつも通りずっとここに居たよ。けど、そういえば池の向こう側で君を見たような気がする」
とりあえず座ろうか、と高雄は大銀杏の麓の石段へと手を引く。
私は高雄の隣にぴたりと座り、高雄の呼吸を聞きながら自分の呼吸を整えた。そして高雄に会うまでのこと、八幡宮で出会った奇怪な出来事について話した。
「それは頼朝公の使いの鳩と、お稲荷様だ」
ひとしきり私の話を聞いた高雄はそう言った。
鳩は鶴岡八幡宮の象徴であり、八幡宮を作った源頼朝公が大事にした動物でもあった。
また、狐は稲荷信仰として庶民に広く信仰されていた。それは当時も、そして機械化が進んだ現代でも、おいなりさんの愛称で信仰がある。鎌倉周辺の佐助稲荷は稲荷信仰の中でも名が知れた神社だった。
どちらも私と高雄のような子供でも馴染みのある存在である。高雄は私が見たものはそれらだと言い張った。それに対し、私はそんな訳はないと、強く言い返すことは出来なかった。そんなバカなこと、ある訳ないだろう。そう言ってやればよかった。現実に起こり得ないことなど、ましてや鳩と狐が鳩サブレーやいなり寿司の話などするもんか、と。しかし、それらは全て私の耳と目で、聞いて見て感じたものだ。すれらを頭から否定することは、私の経験を否定することになる。幼い私の自尊心が無駄な意地を張ったのは確かだった。
「いいものを見たじゃないか」
高雄はそう言って笑った。
まあいいか、と思うとざわついていた心は落ち着き始めた。そして私は、深く深く杉のにおいを胸いっぱいに嗅いでいた。
ただ、好奇心旺盛な知りたがり坊主は、興味の先に危険が潜んでいるとは、とうてい考えない。それが功を奏する時あれば、逆に大目玉を食らうこともあろう。さいわい、私がこどもの時、知りたがりで食らった大目玉は一度だけであった。
朝晩がまだ冷え込む春先のことだ。観光地鎌倉の、小町通りを少し行った雪ノ下地区に住んでいたこどもの頃の私は、観光客が参拝しに来る音で目を覚ますことがしばしばあった。八幡様へのお詣りは早ければ早いほどいい、ということはないが、暖かくなりはじめているということもあってか、早朝の参拝を行ってから他の寺院や名所を巡るという観光客が多くはないが、たしかに居たのである。そうして鎌倉の町は、静寂な夜から賑やかな日の出を迎える。
あの日もそうだった。小町通りを賑やかな声が通り過ぎる。耳に入ってくる音で目を覚まし、ふとんから顔を出す。私の部屋の隣は台所になっており、朝日が差す頃には母がそこに立って朝餉の支度をしている。普段ならふとんから顔を出すだけで、母の気配を感じられるのに、あの日は空気が少しも動いていなかった。起き抜けの頭で不思議に思いながらも、そんなものだろうと片づけ、たまたま、母より先に目が覚めただけ。そう思って、ふとんからはいでた。
朝日は上がりたてで、寝ぼけているのか、まばらに辺りを照らしていた。裸足に下駄を引っかけただけの格好で外を歩き始めると、堅い地面と木がぶつかり合う音が響いた。まだ人は少ない。しかし寺院の朝は早い。人の気配を町からじゅうぶんに感じながら、小町通りを抜けて、八幡宮と並んだ横の道に出る。春が始まったばかりで、葉は少ないが青々とした新緑が朝日を浴びている。見上げるほど大きい木々を見ながら裏手入り口から八幡宮の敷地内へ入ると、地面とぶつかり合っていた下駄が、今度はじゃりと遊び始めた。小さな柵によって歩く場所とそれ以外がわけられた、じゃりが敷き詰められただけの質素な路は、道と呼ぶにはあまりにも手入れがされていなかった。けれども、当時ではそれが当たり前で、鎌倉の寺院に限らず、町のだいたいがが道よりもじゃりの敷き詰められた路というのが多く存在した。今よりも敷地を隔てる意識が低くかったので、八幡宮がこどもの遊び場になっていたのだと思う。
特に八幡宮は格別な遊び場だった。単に神仏に対して特別な風習や思いがあったわけではなく、広い敷地の中を自由に全力で駆け回ることが出来た唯一の場所だったからである。現在では高級住宅街であったり、別荘地として選ばれることの多くなった鎌倉であるが、あの当時はまだ閑静な地域であり、観光地の面しか持ち得なかった。なので、空き地はいくらでもあった。しかし、冒険のように木々に囲われ、自然だけれども人の手の加えられた形跡が感じられる、鎌倉の寺院とはこどもにとって、そういった場所であった。
あの日は、近所に住む同い年の高雄と八幡宮で遊ぶ約束をしていた。大きな銀杏の木が植わっており、その幹にしがみついて木登りをするだけで、楽しかったこども時代の私たちは、飽きるまで木という木を登り、そこから鎌倉の町を眺めて遊んでいた。この日も高雄とともに木登りで一日をすごす予定だった。待ち合わせは参道の横にある大きな池の前で、小島が浮かぶほど大きな池はこどもからすると湖に匹敵するほどの圧巻の存在感を放っていた。そしてそこに住む鯉もまた大きく、水面を揺らすように木の棒でつついてやると、体格にあった大きな口で木の棒に食いつくのである。観光客が次々と餌付けをし、いつのまにか大きくなっていってしまったのであろう、威勢のいい鯉がその池にいた。
しかし、いつものように、高雄を待って池の鯉に餌をあたえるまねをして遊んでいても、いっこうに高雄の姿は見えない。
高雄は不思議なこどもだった。木の幹に耳を押しつけ、目をつむり口を閉ざしたので、何をしているのか、と聞けば、木の声を聞いていると高雄は言った。そんなことをしているかと思えば、あらぬ方の一点を見つめ、真剣な面もちでいるのを不思議に思うて問えば、鳥が泣いているという。鳥は鳴くものではないか、とわたしが言えば、高雄は、鳴くのは人だと言った。時たまこうした不思議なやりとりをすることがあること以外、変わった様子はない高雄だが、こどもながらに、高雄というこどもを不思議に思うことが多かった。
その高雄が、約束の時間をすぎてもやってこない。朝日だった太陽も、いつの間にか若宮大路の鳥居ほどの高さまで登っていた。腹の鳴る音がする。朝餉も食わずに飛び出してきたことを今になって思い出す。
しかたなしにきた道を戻ると、じゃり道の右脇に細くのびる道が見えた。庭のように遊び回った八幡宮で見たことのない道などないと、思っていただけかもしれない。しかし、覚えのない道が見えている。その道は細い杉の木が周りをかこみ、影を色濃くする。暗くて細い道は入り口しか見ることができず、奥がどうなってるかはわからない。杉の木がその道の全貌を隠してしまっていた。下駄が砂利を蹴る。吸い込まれるようにして、突如現れたその道にこどものわたしは歩みを進めたのである。知らないものがあると知るだけで、いても立ってもいられなくなる、知りたがりな坊主がしゃしゃり出てしまったのであった。
八幡宮の空間はわりと明るい。それは、広い敷地の中で、見事な大木が等間隔で植えられているからであろう。広いだけの空間では殺風景すぎて、けれども大木を植えすぎても木々の葉で日の光が遮られてしまう。八幡宮は光を取り入れる為のすべを知っていた。日がまんべんなく差すよう、遠すぎず近すぎない位置に木を植えていた。また、多すぎない大木たちは、まわりの空間を包み込むようにして立っているので、参拝者に安心感を与える効果もある。
しかし、今進んでいる道は、わたしの知っている八幡宮ではなかった。細い杉の木が道に沿うようにして植わっており、その間隔はとても近い。うっそう、という言葉がとてもよく似合うほどに近しく植わっている木々は、まるで光を極限までに取り込むのをいやがっているようだった。幹も枝も細いのに、数をなして生える姿は、群をなしているように思えた。
下駄が砂利をなでる。
あまりにも覚えのない風景すぎて、足がすくんでいた。わたしの知る八幡宮は人の気配と木のぬくもりであふれていた。それが、ひとつ違った道に入っただけで、まるで違う空間へと変わりえることを、当時のわたしは知らなかったのである。風が少し吹くだけで、細い杉の木は揺れ、枝と枝がぶつかりあう。乾いた音があたりに響き、それを聞くだけで恐怖心が増していった。心細く、あふれ出ようとする涙を堪えるのだけで精一杯だった。歩みを進めることなど、とうにやめていた。
薄暗くて細い道の先には石造りの階段があった。小さな丘のような先に伸びる階段の周りにも細い杉の木が生えている。群衆のように生える杉の木により、さらに暗く見える階段の先。視線をやるだけで何だか恐ろしい。
これ以上は危険だ、危ない。と本能が騒ぐ。
けれども、その本能に反し、体はその場を動こうとしなかった。気ばかりが焦る。動かない足に、さらに恐怖が募った。
「おいなりさんや」
「その名前で呼ぶんじゃないよ、鳩公」
「いいじゃないか、おいなりさんなんて。あのふかふかした、まあるくていいにおいのする、あれのことだろう」
突如、石階段の上から声が降ってきた。それはわたしに向けられたものではなく、声同士が会話をする。
「一度食べてみたいもんだね、おいしそうだ」
「まったく、他人事だと思って」
「あったりまえだろう。こんなおもしろいこと」
ころころと声が笑った。
私は石階段の上でやりとりされる声に釘付けだった。
頭のはしっこでは、帰れ帰れ引き返せ、とこだましている。しかしそんな警告など、好奇心に勝り得なかった。いけない癖が出る。
私はずいと、石階段の上へ頭を覗かせた。
「だいたい、鳩公。お前こそなんなんだよ、サブレエなんて」
「お、その話をするかい? ついに鳩という身分が尊い存在だっていうのを、人間が気付いたんだねえ」
「鳩サブレエだよ? サブレエ」
「サブレエじゃないよ、おいなりさんや。鳩サブレー、伸ばしな」
石階段の上には、大きな石がどすんと構えていた。横に長く、平べったい。まるでその石の上に何かが乗るかのように平で、その両端は人の手で作られたように丸みを帯びている。
その石の上に、狐と鳩が対面で座っていた。
狐も鳩も、くつろいでいるのか、座るというよりは、寝そべっているという方がしっくりくる。また、体長の長い狐が鳩の目線に合わせ、そのように伏せているようにも取れた。
「人間は美味しいものを作るのがうまいよ、本当に」
「それは素直に頷いてやろう。悔しいがおいなりさんはうまいんだよ、鳩公」
「やっぱりそうかい。いいねえ、いつか馳走になりたいもんだねえ」
「うちのを盗み食いしたら噛みちぎってやるから、覚悟をしておくんだね」
「おー、怖い怖い。武器が牙しかないと野蛮で仕方ないね」
ころころと声がまた笑う。
狐と鳩は、しゃべっていた。先程から石階段の下へと降り注いでいた声の主は紛れもなく、石の上に座る狐と鳩のものだった。しゃべる度に、体はゆらりと揺れたり、声に合わせてケタケタと笑っている姿も見えた。
おお、これは。これはこれは。
目の前に広がっている信じ難い風景に思わず喉が鳴る。摩訶不思議で珍妙な出来事が、目前で巻き起こっているではないか。
なんだこれは、どうなっているのだろう。飲み込んでいたはずの息はいつの間にか、浅く小さく小刻みに私の肺を出たり入ったりしていた。
狐はしゃべるものなのか。鳩はころころと笑うものなのか。何よりも、目の前のあれらは私の知る動物ではない。
そうわかった瞬間、私の中で警報を出していた恐怖心が、好奇心を上回った。
この世のものではない、それはこの世のものが踏み入れてはいけない領域である。幼かった私でもそのくらいの判別は、知識として知らなんでも肌では感じ取れた。
戻れなくなる感覚が、ふと湧いて出る。どこへ、なんて愚問だ。元の場所へ、自分の家へ。ふっと湧いて出た直感は、幼い少年の恐怖心を存分に煽った。
帰れないかもしれない。
そう思った瞬間、悲鳴をあげそうになった。しかし、小さな私は口に手を当て、声をを押し込むことで辛うじて飲み込むことが出来た。
その時、勢い余って態勢が後ろに倒れこみそうになった。踏みとどまり、倒れはしなかったが、踵が地面を擦ってしまった。砂利が数個、石階段の下に転がっていく。
「誰だ!」
一瞬にして空気が張り詰めた。腕あたりの肌に刺すような感覚が走る。
私は走り出していた。もう居ても立っても居られないなかったのだろう。自分の浅い呼吸だけが耳に響く。走れ走れ走れ、止まることなく走れ。誰の声かもわからない声がそう言う。ここに残るべきではない、早く元居た場所へ戻るのだ。
ガリガリと下駄が砂利を蹴っている。走る度に砂利を辺りに撒き散らかし、小さな砂埃を巻き上げていた。
細く等間隔に並んだ杉の並木を駆け抜ける。やはり見覚えのない風景だった。私は目の端に大きな涙を溜めながら走っていた。顔はぐしゃぐしゃに寄せられ、口はだらしなく開いている。恐怖そのものを顔で表していたのだろう。
涙が頬を流れていった。風を切って走ると濡れた頰が冷たい。塞きとめていた感情が、溢れ出した。
その瞬間、視界が開けた。見知った、よく見る八幡宮の大銀杏が目の前に立っている。朱色の舞台も見える。
帰ってきた。と思った瞬間、肺の中にたくさんの酸素が供給された。あまりにも急激に、そしてたくさんの空気が流れ込み、私は噎せ返った。
唾を吐き散らかし、鼻水さえも垂らす始末。苦しくて、怖くて、涙が溢れ出た。
「どうしたんだい」
腹を抱え込んで蹲って居ると、頭上から声が降り注いできた。私はぜえぜえと器官から細々と出ては入る息を吐きながら、その声の方を見る。膝に手を当て、屈みこんでいる高雄がそこに居た。
「たかお」
「なんだか焦っていたね」
「どこにいたんだよ、高雄」
「いつも通りずっとここに居たよ。けど、そういえば池の向こう側で君を見たような気がする」
とりあえず座ろうか、と高雄は大銀杏の麓の石段へと手を引く。
私は高雄の隣にぴたりと座り、高雄の呼吸を聞きながら自分の呼吸を整えた。そして高雄に会うまでのこと、八幡宮で出会った奇怪な出来事について話した。
「それは頼朝公の使いの鳩と、お稲荷様だ」
ひとしきり私の話を聞いた高雄はそう言った。
鳩は鶴岡八幡宮の象徴であり、八幡宮を作った源頼朝公が大事にした動物でもあった。
また、狐は稲荷信仰として庶民に広く信仰されていた。それは当時も、そして機械化が進んだ現代でも、おいなりさんの愛称で信仰がある。鎌倉周辺の佐助稲荷は稲荷信仰の中でも名が知れた神社だった。
どちらも私と高雄のような子供でも馴染みのある存在である。高雄は私が見たものはそれらだと言い張った。それに対し、私はそんな訳はないと、強く言い返すことは出来なかった。そんなバカなこと、ある訳ないだろう。そう言ってやればよかった。現実に起こり得ないことなど、ましてや鳩と狐が鳩サブレーやいなり寿司の話などするもんか、と。しかし、それらは全て私の耳と目で、聞いて見て感じたものだ。すれらを頭から否定することは、私の経験を否定することになる。幼い私の自尊心が無駄な意地を張ったのは確かだった。
「いいものを見たじゃないか」
高雄はそう言って笑った。
まあいいか、と思うとざわついていた心は落ち着き始めた。そして私は、深く深く杉のにおいを胸いっぱいに嗅いでいた。
category: カマクラ怪奇譚
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